「すみません!遅くなりましたアリババ殿」


慌てたように扉を開けた白龍は挨拶もそこそこにロッカーへと急いだ。その背中にアリババは苦笑する。さっきちょうどお客さんが帰っていったばかりなので、そんなに余裕無く動く必要は無いのだ。遅れたと言ってもほんの10分程で、相変わらず真面目な奴だとアリババは笑う。


「あの、今日は何をすれば良いのでしょうか」
「ああ今日は…っと、ちょっと後ろ向け白龍」


バルバッドの指定制服と黒いエプロンを身に纏いながら戻った白龍を、アリババはちょいちょいと手招き体の向きを変える。そうして頭上にハテナマークを浮かべる白龍のエプロンの紐を解いた。


「ぇ、あ、アリババ殿…?!」
「結び目が歪んでるから直すな。ちょっとそのままで」


繊細な手付きでササッと結び終えたアリババはこれで良し、と白龍の肩を叩いた。


「動いてる最中に解けたら大変だからな……、ん?どうかしたのか白龍」
「い、いえ…」


何でもないですありがとうございますと軽くどもりながら礼を言う白龍にアリババはおかしな奴だな、とふわりと笑んだ。ほんのりと頬を色付かせる白龍の頭を撫でると、子ども扱いしないで下さいと拗ね始める。普段はしっかりしてるのに実はネガティブで落ち込み易い彼は、アリババにとっては充分子どもなのだが…わざわざ機嫌を損ねることもあるまいと謝っておく。





白龍は近くにある高等学校の学生で、同じ学校に通うモルジアナに誘われてバルバッドのバイトを始めた。モルジアナとアリババはモルジアナが小学生の頃からの知り合いで、アリババは昔から近所に住むモルジアナを可愛がっていた。何かにつけて相談に乗ってくれたり遊んでくれたり…そんな風に良くしてくれるアリババの役に立ちたいとずっと思っていたモルジアナは、母親の代わりに店を続けるアリババに手伝いを申し込んだのだ。流石にタダ働きはよろしくないとバイトとして雇わせて貰ったアリババは、シフトの都合を考えてもう一人位誰かバイトを入れようと考えた。ポツリとそれを零せば心当たりがあるとモルジアナが言い…そうしてやってきたのが白龍だったのだ。モルジアナも白龍も今年で実は三年生になるのだが、二人共に受験等に関する心配は一切無いのだという。受験生ということに関して話すとあっさりとそんな答えが返ってきた。だからバイトのシフトはそのままでと二人に押し切られ、アリババも困惑しながらも助かると頭を下げた。



二人共真面目で飲み込みも早く、特に忙しい時間帯では随分と助けられている。更にアリババのことを慕ってくれているので、余計に嬉しいのだ。シンドバッドやジャーファル相手では逆の立場のため、また違った年上としての喜びを感じる。だからこそアリババにとって二人は妹や弟のような存在であり、可愛がらずには居られないのだ。




「ま、今日もよろしく白龍。頼りにしてるからな」
「、っ!…は、はい!」


先のアリババの言葉にキュッと表情を引き締めつつも嬉しそうに返事をする白龍をまた撫で始めるアリババ。…そんなどこか和やかな雰囲気を扉のベルが打ち破った。


「よお、元気か白龍ー」
「お邪魔するわぁ」


二人分の声がし、ズカズカと遠慮無しに入ってきた一人はそのまま白龍の肩に腕を回した。白龍はそれを引き剥がしながら眉間に皺を刻む。途端に不機嫌になった白龍を嗤いながらその一人…ジュダルはさっさと椅子に腰掛けた。それを横目で見ながらアリババはもう一人、扉の近くに佇む女性に片手を軽く振りながら頬を緩ませる。


「久しぶりだな紅玉」
「そうねぇ…一ヶ月振りかしらぁ」


アリババに促されて席に着いた紅玉は軽く息を吐いた。


「ジュダルちゃんの付き添いをお父様に頼まれたのだけれど…」


そこで言葉を切った紅玉にアリババと白龍は憐れみの目を向ける。このジュダルが大人しくしている訳が無いのだ。アリババが紅玉の苦労を想像して労うように軽く背中を叩く。それから空気を変えるように明るく言葉を紡いだ。


「あのさ紅玉、実はちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「?良いわよぉ…何かしらぁ」
「実は今女性向けのスイーツを考案中でさ。見た目とか、あと食べて味の感想とかくれると嬉しいんだけど」


お友達の頼み事だもの、勿論。快く引き受けてくれた紅玉に感謝しつつ少し待っててくれとアリババは奥へと入っていった。ふわふわと落ち着かない様子の紅玉に良かったなババアとジュダルが口角を引き上げる。白龍は白龍でどこか落ち着きなくアリババの帰りを待ち、何とも言えない空間が出来上がった。




…程なくして甘い香りを漂わせながらアリババが戻ってきた。食器や飲み物を盆に乗せ、テキパキとそれらを広げていく。紅玉は目の前に広がる色彩と良い香りに目を輝かせた。


「二種類あるから好きなようにどーぞ」


ジュダルと白龍もな、としっかり用意された三人分のセットにバイト中だからと遠慮する白龍をアリババは無理矢理座らせる。これも店への貢献…仕事だと言われて白龍は釈然としないながらも大人しく席に着いた。


「こっちがサヴァランで、こっちがフルーツグラタンな」


それぞれ指された皿に乗るお菓子を三人は見、ジュダルは早速とばかりに食べ出す。白龍はそんなジュダルに慌て、紅玉はより詳しい菓子の説明を求めた。三様の反応をする三人を微笑ましく眺めていたアリババは紅玉に向き合う。


「こっちのサヴァランっていうのは洋酒とかを染み込ませたブリオッシュなんだ」
「この薄いものは何なのかしら?」
「これはフイヤンティーヌって言って、薄切りにして乾燥させた果物の果肉で…」


今回はパイナップルな。
ラム酒の香りと花が咲いたようなフイヤンティーヌが色んな感覚器を楽しませる。紅玉は感嘆に息を吐く。続けてもう一つの皿には銀色のグラタン皿が乗せられている。


「これはグレープフルーツのグラタンな。他にもベリー類とか果汁がいっぱい入った甘酸っぱい果物なら何でも合うんだ」


果物と相性の良いサバイヨンソースを使ってるから絶品だぜ!
キラキラとした笑顔でそう伝えてくるアリババに、紅玉も心が弾むのが分かる。促されて紅玉と白龍がフォークを取った瞬間、ジュダルの満足そうな声が響いた。


「お前にしてはやるじゃんアリババクン」


揶揄うような色を含みながらも全て平らげた彼に、アリババは苦笑しつつも嬉しそうに礼を告げた。


「本当に美味しいわぁ…」
「はい、とても美味しいですアリババ殿」


二人からも美味しい美味しいと感想を貰えてアリババの気持ちはどんどん浮上する。これなら来週辺りからでも出せそうだと表情が緩んだ。








ご馳走さまでしたと綺麗になった六枚の皿を下げ、新しく温かい紅茶を淹れ直す。満ち足りた空間でカップを傾けつつより詳細な意見を聞いて、反映させるべくアリババは構想を練る。


「…ん、本当にありがとうな。たぶんもう少ししたら出すから、良ければまた食べに来てくれよ」


ゆったりと流れる時間にこうして身を任せるだけで幸せで…忙しない毎日を生きているからこその癒し。口にこそ出さないけれど、喫茶バルバッドには訪れる人々へそうした温もりを与える力があるのだ。








「そろそろ帰るわねぇ、ありがとう」



席を立つ紅玉とジュダルを白龍と二人で見送る。そうして扉の前まで来た時にふとジュダルが言葉を発する。


「なあ、」
「ん?」


首を傾げるアリババを引っ張って引き寄せたジュダルは、そのままムチュッと唇を合わせた。


「美味いもん食わせてくれた礼。あと俺はもう少し甘くねぇ方が好みだから」


次来る時までにそういうの作っとけよ。
ペロリと唇を一舐めしてから飄々と外に出て行ったジュダルを呆然と見送りつつ、紅玉は申し訳なさそうに謝罪してその後を追った。残された二人の内、先に正気に戻ったアリババは相変わらずジュダルはよく分からないと考えながら白龍の方を向く…と、微動だにしないままにこちらを見ていた。その様子に驚いてビクついたアリババにゆっくりとホラーのように近付いた白龍は、突然アリババの目の前で泣き出した。


「っ、ア、リババど、…ぁ、ジュダ…すみませ、あの…うぅっ、」


ボロボロボタボタと凄い勢いで泣く白龍にギョッとする。アリババは理由が分からないままに白龍を抱き寄せ、優しく背中を擦ってやる…と、鼻をグスグスいわせつつも白龍も手を回し、アリババの肩に自身の顔を伏せた。





……それから白龍が落ち着くまであやし続けたアリババは、この間に客が来なくて良かったとどこか冷静な判断を下していた。